-5-
「あ、あんた…いつも僕の平穏を邪魔するなんて、何か恨みでもあるのかな?」
町中で“鬼”に襲われた俺は“陽炎”を用いてその場から姿を晦まし、つい数十分前に訪れた“万人堂”に逃げ込んでいた。
相手を欺く為に、長距離の移動や戦闘があった場合を考慮した画期的止血方法によって半分意識を飛びかけていた事もあって電話をかける余裕も無くここに転がり込んだのちに意識を失ったのだ。
そして再び目を開けるとそこには“九九”の顔が目にあり、
先程の口調で憎まれ口を叩かれたのだが……。
(今これどういう状況だ??)
目の前にはこちらを見下ろす九九の札の内側の素顔があり、後頭部には何か柔らかなクッションが引かれている。周囲を見渡そうとすると頭を両手で捕まれ、動かさないと言わんばかりにグッと押さえつけられる。
「え、えっと……その位寝てましたか?」
「さ、30分位」
「結構意識を失っていたのか!!マズいな、早く治療を…」
「ち、治療なら既に済ませている」
「え!?」
「ね、寝てる最中に……ぬ、縫いちく、縫いちく…って」
「あ、ありがとう。助かった」
「例には及ばないわ。ち、丁度良かったし」
「え!?今なんて……」
先程『ちょうどよかった』と言った際の彼女の笑みが想像していたものと全く異なっていた。
彼女の表情には自愛に満ちた優しい表情は一切なく、
好奇心と欲望にまみれた不敵な笑みに満ちていたのだ。
(あ、これヤバい奴だ……)
魔導雑貨店“万人堂”の店主“九九”は只の店主では無い。
魔導具を扱っている時点で只の雑貨屋では無いのは周知の事実だろうが彼女にはもう一つの顔がある。
そもそも“魔術師”は大まかに2つに分類する事が出来る。
一つは聖や“超自然対策課”の様な“魔術”を用い、戦闘や生活に役立てる者。
こちらは既存の魔術や一家相伝の魔術を用い“怪異”や“魔術師”と対立する事を生業にしている。
そしてもう一つは一般のイメージにある“魔女”と同じように自身の“魔術”を研究し技術と知識の発展と復刻を生業としている者だ。
そしてその後者に当たるのが今目の前にいるこの九九と言う少女である。
彼女はその中でも生粋の“研究者”寄りの魔術師であり、この店の魔道具の中には彼女の作品が置かれている事もある。
聖が使用している“呪符”もその一つである為、日ごろから彼女の研究にはお世話になっているし信頼をしている。
……しているのだが、聖はもう一つの彼女の顔の方が今表に出ている為、彼女に対して少なからず恐怖を覚えているのだ。
彼女が使用する魔術は聖と同じく“呪符”を用いるのだが彼女の場合は“陰陽術”を扱うわけでは無い。
彼女の術は“呪符”に怨念や邪念などの負のエネルギーを主に用いて扱う“呪術”に該当するもので、
主に扱うのはその中でも異端な“死霊魔術”と呼ばれるものを用いる。
彼女は研究でモルモットを用いて実験をしており、死にかけのマウスを延命させ何度も研究する様な“黒い”一面を持ち合わせている。
そしてその時はいつも決まって今の様な不敵な笑みを浮かべているのだ。
(そういえばラットを縫っている時も『縫いちく、縫いちく』って言っていたような…)
自分の今置かれている立場を正確に理解し慌てて体を起こそうとする。
しかし脇周り所が首から下は微動だにせず、一切聖のゆう事を聞いてはくれなかった。
「な、なんで!?」
視線を体の方に向けるとわき腹には縫合された跡がはっきり残っており、治療してくれいたという事実には間違いはない様だ。しかし、今肝心なのはそこでは無い。体を縛る鎖や紐の様な物は一切見受けられ無い、にもかかわらず自分の体は一切の自由が利かないのだ。
「ぬ、縫っている時痛いと嫌だと思ったので、ま、麻酔をさせて頂きました」
いつもと違う丁寧な口調が不気味さを一層際立たせる。
(ま、麻酔!? 確かに自分の特異体質を考えると一番効果的な方法だがこれ程までに体を拘束する麻酔薬って一体何を入れられたんだ?)
「それって安全な薬ですか?」
「あ、安心して下さい。聖さんには安全です…はい」
(俺には安全って、常人だったらヤバいって事なんじゃ…)
「ち、因みに首から上には麻酔が無いのは?」
「そ、それはわき腹の毒を摘出するには強力な麻酔が必要でして、それが全身に回っちゃっただ、だけです」
『ありがとう』とお礼を言おうと思ったが予想外の言葉が続いた為、思わず口を紡ぐことになった。
「だ、だからこれから起こる事も不可抗力…そ、そう……不可抗力!!」
彼女はニタリと笑い店頭で売られていない奇妙な色の“呪符”を無数に手に取った。
「九九さん!?」
「ぼ、僕前々から人の実験データがほ、欲しかったの!!」
興奮を隠しきれない様ではぁ、はぁ、と淑女らしからぬ息を漏らしながらランランとした眼で聖を見つめる。『コレは恋!!』とは決して言えないマッドサイエンティストが最良の実験体を手に入れた様な表情を……いや、まさにそのような状況である。
「だだだ、大丈夫!! さ、最初は痛くしないから!! 優しくするから!!」
「それ絶対に乱暴にするやつのセリフ!!!!」
彼女の持つ無数の呪符が怪しい光を放ち俺の周りを回り出したその時、『カツン…カツン…』と誰かが地下への階段を下ってくる音が聞こえた。
コレは天からの救いが来たかと思い、「誰か降りてきましたよ!! “魔術”の隠匿をしないと折角の研究が盗まれちゃいますよ⁉」と叫んだがもう彼女の耳には何の音も届いていない様で、邪悪な笑みを浮かべながら怪しげな魔術を続ける。
(せ、せめて来たのが敵ではありませんように)
と、強く願いながら視線を階段の方に向けると思いもよらない人物がいた。
(え!? な、何で!? 学校は???)
そこに立っていたのは今の時間帯なら午後の授業を受けている筈の我が妹だった。
(だが、コレで助かったぞ…紫に助けを求めれば……)
と、思ったのだが紫は階段の途中で足を止めて刷り越しにこちらをじっと見降ろしていた。その目には一切の光が映っておらず、蔑みと嫌悪の感情さえ含まれている様に見られる。少なくともあのような視線は生まれてからこの方向けられた事が無い。
暫くすると紫はこれ以上おりてくる事無く、何事も無かったかのようにその場を立ち去って行った。時間にして数秒にも満たない視線だったが、聖にとっては悠久の時を過ごしたかのように感じられた。
(一体何か…原因……)
自然と呼吸の荒くなっている目の前の少女に目を向ける。
今の自分の状況を客観的に見てみよう。平日の昼間、人気のいない雑貨店の地下室、上半身裸の男(学生)、その男を膝枕しながら看病?する少女(女性)、男は微動だにせずその女に全身を預けている、女は呼吸が荒く、興奮した様子で何か妄言を呟いている。
(…………)
「紫ぃぃ!!! ちょっと待ってぇぇえ!!!」
どう考えてもアウト、不健全な事はしていないがアブノーマルな事に見られなくも無い。
いち早く兄としての尊厳を取り戻さなければならない!!
しかし自分の体は全くいう事が聞かない。
心を閉ざした妹に自分の声が届く事も無く、あれから30分間“万人堂”の地下からは女性の名前を泣き叫ぶ男の声と、妖しげな声を叫び続ける女性の声が響き渡る事になった。