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「一人で行かせて大丈夫だったかな……」
気が付けば机に頬杖を突きながら窓の外を眺めながらそう呟いていた。
「何?また聖さんの心配事?」
「……してない」
「口に出して言ってたわよ~」
「…京子、うるさい」
「でも今は化学の授業中、考え事は危ないので止めましょうね~紫のお兄ちゃん好き好き成分で化学反応置きそうだから」
私を茶化しながら試験管の液体に数的スポイトの中身を垂らし化学反応を観察している。
同じ版の人もその様子を眺めてはノートに書き込み真剣に授業に受けている光景が見られる。周囲を見渡しても同じような光景が各グループ事に広がっており、私の様に実験をサボっているのは学内で“不良”と呼ばれる分類に該当する数人の男子だけなのだが、彼らはそもそも学校に来ていないので実質この教室内での不良は私一人という事になる。
「ちゃんと格好だけでもしないと“色々”目を付けられるわよ」
「分かってる、けど授業が退屈過ぎて……」
「そうだろうね。でも紫にとっての勉強はそっちじゃないよ」
「じゃあ何を勉強するのよ」
「コミュニケーション能力の向上」
「ふぇ!?」
「せめて私以外に話す相手を見つけなさい。あなたが私達と聖さん意外と喋っている所見た事無いわ」
「む、無理無理無理!絶対無理!!」
「いいから行ってきなさい!」
京子は私の背中を強く押し隣のテーブルの方へと押し出した。
バランスを取り転びかけた体を起こすと目の前には三人の人物の視線が私の方へと向けられていた。3人とも不思議そうな顔をしてこちらをじっと見つめる。
「東雲さん何か用?」
一人が優しくそうと言いかけてきた。
分かっている、今の問いかけは中々切り出せないでいる私を気遣っての言葉、こちらから話しかけるというハードルを下げ、返答する事で会話を成立させようと彼女からの優しさを含んだパスだという事を。
分かっているのだが、私にとってはそのやさしさが何よりもきつかった。
自分から声をかける前提の場合、声をかけさえしなければそもそも会話が始まらないのでこのような独特な間はそもそも発生しない。しかし、このように向こうから話しかけられた場合何かしら返答をしなくては失礼になる。
つまり今の私は彼女の優しい一言によって唯一無二の退路を失ってしまったのだ。
「あ、えぁ…その……うぅ…」
(どどどどどどうしよう……)
目をグルグルしながら何を話すべきか必死に考える。脳内会議を始めようとするが、脳が全く働かない。今にも煙を出してオーバーヒートしそうな程だ。頭に水をかけられたら一瞬のうちにその水を蒸発させてしまいそうだ。
「東雲さん?」
「え…ぁ……」
いくら魔術が出来ようとも、情報収集が出来ようとも、勉学が出来ようとも、この社会で生きていくうえで最も大切なコミュニケーション能力が私には徹底的に足りていなかった。
学内でいくら天才や奇才など崇められても私には友人を作り、楽しい学園生活を満喫している周囲の人達の方が天才に見える。目の前に存在しない情報を読み取り相手に存在しない情報を伝える術は私には持ち合わせていない物なのだから。
「あ、もしかしてこれ?」
慌てふためく私を前に彼女は実験に使用する薬品を指さした。
授業で使用する薬品なのだが数が少ない為、回して使用する事になっている。
本当は既に実験を終えている自分達には必要のないモノなのだがコレがこの場から逃げる口実になる。
私は藁にすがるような気持ちで必死に首を縦に振った。
「はい」
彼女に渡して貰った薬品を落とさない様に両手でつかみこの場からすぐさま立ち去ろうとしたがまだお礼を言っていなかった事に気が付いた。
「あ…あり……がと…」
(伝えた!ちゃんと返事もしたし伝えたぞ!)
私は小走りで資料をまとめている京子の下へ逃げ帰った。
「ほら、私はちゃんとコミュニケーションを取って来ました」
「いや、そんなドヤ顔で言われても……それにその薬品もう使わないよ」
「そ、そんな事分かってるよ」
と言いつつ私はその瓶を見つめた。
はじめてまともな会話をしたような気がする。
(私、ちゃんと成長しているのかな?だったらちょっと嬉しいかも)
「………」
「なによ?」
「何でもないわよ、紫だけだよ、書類書いてないの。提出するから書いて書いて」
「あ、ごめん」
言われた通り全く手つかずだった書類に手は掛け始める。
書類自体の作成にはものの5分もかからずに終わるだろう。
紫が書類を書き込む中、教室内の他の人達は皆同じ事を考えていた。
(何この小動物(東雲紫)めっちゃ可愛いんだけど)
紫が借りてきた小瓶を見て嬉しそうに笑っていた光景を見てみなそう思った。
このクラスは紫を中心に機能していると言っても過言では無い。皆紫のコミュ障小動物を蔭から見守り支えようとしているのだ。その筆頭が紫の友人であり唯一行動を共にしている“松木京子”その人である。
そしてこのグループが他のクラスから【小動物愛護団体】と言われ恐れられている事を当の本人は知らない。
書類を書き終わり顔を上げるとニヤニヤしながら私の顔を眺める京子の姿がそこにあった。
「……何よ」
「何でも、お兄さんの事はもうどうでも良くなっているみたいだから、よっぽどうれしい事が有ったんだろうなって」
「京子うるさい」
「ごめんごめん」
兄の事が気にならないというのは嘘では無い、今日向かっているのは中華街にある魔道雑貨店“万人堂”なのだ、あの兄に限って身の危険は一切ない事は重々に理解している。心配事となると別の要点になる。
以前あの店に共に向かった事が有るがあの店の店主は身長はやや小さいものの列記とした社会人であり、大人の女性なのだ。いかに相手がキョンシーとは言え大人色気を使い誘惑してくるに違いないのだ。
(いや……あの人色気も何も“無い”から大丈夫か)
自分の事を棚に上げておきながらとても失礼な事を考えながら、頭の片隅ではもう一つの事を考えていた。
授業が終わり、京子と一緒に教室に戻ろうとした時に自分のスマホに一本の電話が届いた。普段使いしている方では無く“仕事”で使用している方だ。表記は非通知になっており3回コールが鳴った後直ぐに通話が切れた。
「間違い電話?」
不思議に思った京子が問いかけてきた。
「どうだろう? ちょっと折り返してみるから先行ってて」
等と言い一人になると私はその非通知の電話の主に呼び出しを行う。
呼び出しの音が自分のスマホから鳴り響く。1回、2回、3回と。3回のコールを鳴らした後、先程の電話の主と同じように通話を切った。
折り返しの連絡がない事を確認すると私は小走りで京子の後を追った。
「どうだった?」
「間違い電話だったみたい」
京子と取り留めの無い会話を楽しみながら私はいつもの日常へと戻っていく。
(私の準備はもう出来た、後はお兄ちゃん次第だよ、頑張って)
「結局買ってしまったな……」
じめじめとした湿気渦巻く魔導雑貨店“万人堂”を後にした俺は購入した呪具を背負いながら一人お昼の中華街を歩いていた。平日にも拘らずお昼時という事もあって会社員や観光客でにぎわっており、所々から食欲を誘う良い匂いが漂っている。
(直ぐに学校に行こうかと思ったけどここら辺で昼食を取っても良いかもな)
周囲から漏れ出す匂いにつられ、どこに入ろうか迷っていると背中に『ドンッ‼』と何か大きな物がぶつかった様な強い衝撃が伝わった。衝撃の次に右わき腹にわずかな違和感を覚える。少し感覚がマヒしている様な、暖かいようなそんな感覚だ。その妙な感覚はわき腹を中心に徐々に広がっているのが分かる。暖かい感覚の次にひりつく様な痛みを感じた。
恐る恐るわき腹に手を当てると生暖かいヌメリとした液体の感触が手のひらを伝わる。手元を目の前に持ってくると右の手のひら一面に赤い液体がこべり付いていた。
(コレは、血痕…一体誰の? 刺され!? 刺されたのか!?)
わき腹を抑えながらゆっくりと背後を振り返るとその人物はそこにいた。
真っ赤な花が拵えられた着物に現代で吐いているのが見受けられない下駄を履き、その右手には刀身に赤い液体を纏っている脇差サイズのドスが握られていた。そして何より驚くべきはその容姿、日本人風の黒くて長い髪の毛をより際立たせる頭に聳え立つ真っ赤な2本の角。それは正に先日対峙した“鬼”が持つ身体的特徴にそっくりであった。
「な、何で!?」
“鬼”が此処にいる事、日中に、それも人混みの中で攻撃してきた事、自分が一切その存在を感知できなかった事、そして自分を攻撃してきたのは“魔術”的概念では無く正真正銘の現物、本物のドスで攻撃されたという事に驚きが隠せなかった。
自慢では無いが自分は“怪異”と対峙するケースが非常に多い為、奴らの存在には非常に敏感なのだ。しかも現在“鬼”に呈しては最新の注意を払っており警戒を解いてすらいない。先程地下から出る際に全身の至る所に呪符を仕込んだ為、戦闘態勢も十分とっていた。にも関わらず自分は攻撃を避ける所がその存在を攻撃された後、相手の身体的特徴を確認するまで捉える事すらできなかったのだ。考えられる可能性はある、だが……。
(そんな事が有って良いのかよ…)
目の前の鬼を見つめ自分の考えを必死に否定する材料を探す。
しかし、どれだけ探しても目の前に映るこの光景が唯一無二の現実だと証明していた。
目の前にいるこの小さな“鬼”は角が生えているという事以外は正真正銘の人間に他ならない存在であるという事になるのだ。言葉を言い換えれば“怪異”では無く、“角”という身体的特徴を持った人間という事になる。
周囲の人間が彼女を避ける様にして道を歩いている所から見ても一般人にも彼女の存在は目視できる事になる。角に関して全く何も言わない所から彼女の角は見えていない事に……。
そこまで考えて自分は最も大きな違和感に今更気が付いた。
目の前の特異存在の“鬼”の存在に気を取られてそこまで頭が回っていなかったのだ。
例え目の前のこの少女の角が見えないにしろ彼女のこの服装は以上に目立つ。中華街なのにも関わらず和服、お昼時の人混み、観光客が多くいる中、大和撫子の彼女が、“鬼”が目立たない訳が無いのだ。ましてその手に血の付着したドスを持ち、その目の前にはわき腹から血を流し立つ人物がいるのだ、悲鳴の一つあっても良い光景にも拘らず今かの空間はまるで自分達2人が観測されない様に、若しくは全く異常が無いかの様に日常と言う名の静寂に包まれていた。
異常、あまりにも異常すぎる光景だったがコレで昨晩の事が一つはっきりした。
憶測で話していたが昨晩も、現在も誰かが意図的に“怪異”を生み出しているのだと。
(コレは“怪異”戦じゃない、“魔術師”戦だ)
そうなると非常にまずい事になる。
相手がこちらの情報をどれだけ知っているかこちらは分からない。その上こちらは相手の情報が全く分からない状態になる。“魔術師”同士の戦いは相手の魔術の性質をいかに見極めるかが重要になり、自分の場合は陰陽術師とバレている上に昨日自分の手の内をいくつも晒している。いくら応用の効く魔術とは言え根本は何も変わりはしない。
それに加えてこの手傷、恐らくまともに動けるのは持って数分、相手の力量すら分からないこの状態では成す術が殆ど無い。更にこの異様な空間である、コレが相手の“魔術師”による結界ならば一般人には一切手出しが出来ない、もっと最悪なのは昨晩話した“催眠”“幻覚”等の場合、最悪一般人に襲われる事になる。
向こうから手出し出来るがこちらからは一切手出し出来ない最悪の状況になる。
そして一番質が悪いのが今目の前にいるこの鬼の少女だ。
どう見ても人間の少女にしか見えない彼女だがおそらくこれ程までに上手く身を隠せるとなると昨日の“鬼”とは比べ物にならない程強力な力を持っている。だが一番厄介なのはこの鬼が角以外は人間の少女と変わらない事にある。
【この“鬼”の“怪異”を祓う場合人間を攻撃するのと同じ感触がする】という事になる。
(なんて悪趣味な性格なんだ……人を殺してみろと言っているようなもんだぞ)
どのみちココを切り抜けるには生半可な覚悟では務まらない。
「腹括るしか無いよな……」
一呼吸を終え自分の勝利条件を頭の中で整理する。
倒すか……。逃げるか……。相手の居場所が全く判明していないこの状況で相手を倒す選択肢は現実的では無い。残るのは逃げるという選択肢なのだが……。
(このざまじゃ逃げきるまでに出血で意識を飛ばす事になる……)
「なぁ、そこの別嬪さん、貴方話せたりしませんか?」
言葉を投げかけるが“鬼”は何も言わずにじりじりと距離を詰めてくる。
「無視ですか……」
(無効はこの空間なら周りの目を気にせずに何やっても問題ないと考えているのだろう)
「けど何やっても許されそうなのはこちらも同じ事です!」
(覚悟を決めるんだ……)
先程追加で購入した呪符を2枚取り出し自分の脇腹に張り付ける。
場所は先程刺された場所1か所、きれいに刃が抜けていった入り口と出口、その両方に張り付けた。ハンカチを取り出しそのハンカチを噛みしめる。そしてその覚悟の祝詞を念じる。
(頼むぞ俺、ひよって手加減などしたら承知しないぞ!)
【五行・陰陽道 “炎羽”】
赤く燃え上がる2つの火柱が己の右わき腹を焼き上げる。水分の蒸発した感覚とタンパク質が焼ける異臭が周囲に立ち込める。(燃えろ!燃えろ‼燃えろ!!!)術を解くばかりか徐々にその威力を増して行く。
流石の“鬼”もその奇行に面を食らったようで理解できない光景を見る様に呆然と立ち尽くしていた。聖はその一瞬のスキを見逃さなかった。懐から呪符を追加し、わき腹だけでは止まらずその身を自ら炎で包み込んだ。
(勝負は一瞬だ……)
すかさず次の呪符を己の周りに巻き上げた。
印は先程使用した“炎羽”とは異なる“水”を示す印。
自らの札術の2つの属性を掛け合わせて使う金剛技、先日1本角の“鬼”を倒した時に用いた“金剛夜叉”と同じ要領。だが今の目的は全く異なる。相手を滅する為の技では無い、この技は……。
【五行・陰陽道 “炎羽陽炎”】
祝詞と共に巻き上げられた呪符が各々強大な炎を巻き起こしながら広がって行く。
その炎は聖を包み込み瞬く間の内に黒く、大きく立ち込める。揺らぎ続けるその炎は忽ちに姿を変え、巨大な黒い火の鳥へと姿を変えていった。そして次の瞬間、大きく膨れ上がった炎は突如限界を迎えたかのように爆発して周囲に無数の火の粉となって飛び散っていった。
飛び散った炎の中に視線を写したが“鬼”の少女の目には彼、東雲聖の姿はどこにも無くなっていた。そこには燃え広がったはずの中華街が一切の燃えカスも焦げも無い、まるで元から何も無かったかのように平和な姿をした中華街のみだった。
聖のいなくなった中華街は、まるで止まった時間が動き出したかのように、唐突いつもの日常が動き自始めた。店に並ぶサラリーマンや屋外での昼食を取っていた人物たちは一瞬その違和感を感じたが直ぐに気のせいだろうと、日常に戻ってゆくだろう。
そしてその中で日常に戻らずに地面を見つめる人物がいた。
(アスファルトが湿っている……周囲に焼き後は燃えカスが一切ない事からすると、先程の炎は“水”と“炎”による高温と低温で見せた蜃気楼の様な物か、匂いは本物からして全身を包み始めたあのあたりからこの蜃気楼を起こし、姿をくらます手筈をしていたのだろう)
「中々の曲者じゃないか」
(だが情報以上の脅威は見られなかったな……いや、彼のあの性質上今後厄介になるのは間違いない、早めに始末するに越した事は無い)
「さぁ、帰ろうか【 】」
その人物は小さな少女の“鬼”の手を握り人混みの中へ消えていった。